乗る波は来る。

来る波には乗っとけ。












2005/0502

ががんぼ



「ががんぼ」という虫がいて、通じないのは百も承知だが、所謂「でっかい蚊」を見た事ないだろうか。あれである。あれを何故だと問われると困っちゃうのであるが、ががんぼと呼ぶのである。そして案の定、「ががんぼ」言うても通じなかったのである。
そして何だといわれると、今年はその「ががんぼ」が多い、それだけ。よくふらふらと飛んでいる。蚊のように血を吸っている所を見かけたことが無いので厳密に学術的に言うと蚊ではないんだろうが、なんせ蚊の2倍3倍の大きさなので非常に目障り。それにつきる。そして発音は上のよう。

「フューチャー・イズ・ワイルド」という本を前々から買ってはいるのだが、読み進まないまま。2億年後の地球の生物大予測、っていうやんちゃな本だ。氷河期は分かる。まだ、分かる。しかし、1億年後とかになってくるともうどうでもいい。だんだん楽しくなくなる。ウミウシがどうのこうのと。何やら冷やかしではなくその手の専門家が大真面目かつ綿密に予測しているのだが。最後はイカ。
まぁ、なんつーーーーーーーーーか。そうきたか。妙にベタ、といえばベタなオチだ。最後まで読みきれませんでした。途中すっとばしちゃて、イカ。凡人の興味の範囲は哲学が限界。あるなし、ではなく己と照らし合えそうな哲学がありそうか否か。ぶっとばしすぎちゃってのイカに哲学の影を見ることは出来るが(何せぶっとばしすぎているから)、ウミウシに感じることはできん。断じて。
どうでもいいが、こんな人間がいなくなった世界の事を延々と予測しているような本を読むと、つくづく学問と呼ばれるものは娯楽だな、と思った。こういうのは早く気付いた方がいい。私は数学というものを一切合財無視してきて、方程式という存在があるという事実だけ知っているような有様だが、「これは娯楽です。暇な時にやってみる面白いものです。」と言われて教えられるとやったかも知れない。

前に会計士の人と話してて面白かったのが、「まずは引き算と割り算。これだけは必要。足し算と掛け算はその後からでもいい。何故ならば、それらは儲かってからの話になるから。」
とりあえず、儲かってない人は足し算と掛け算で物事を考えている傾向にあるという事。人はそれをあらぬたぬきの皮算用という。私の事だ。なるほど勉強になりますわ。




2005/0511
41の12話13話を描いていて思いだしたのだが、「探しものは何ですかぁ〜見つけにくいものですかぁ〜」の「見つけにくい」という表現がばかだなぁ、とその歌を斉藤由貴のカヴァーで初めて聴いた小学生の頃に思ったのを思い出した。
見つけにくいから、探せないんじゃん、という内訳。
子どもの考えそうな事よね。卓越な詩なり。




2005/0512
風邪をひいて、鼻水が延々と流れ、カピカピになり痛い。
鼻がもげそうだ。

やらなければならない事と考えなければならない事があって、それは同じ事なんだが、その考えなければならない事というのが大変私が苦手とする事です。
色々フリーになって思う所があるのだが、何かっつったら、私は何を一番ってのが「人をくったような生き方」ってのが好きだ、って事で手を打って諦めてくれないだろうか、誠実な私よ。諸悪の根源は怠け者でもめんどくさがりでも横着でもなく、そういう姿勢にあるのであるよ。

ところで、お世話になっている会社の近くの稲荷神社のお稲荷さんが2匹向かい合って歯を剥き出していて、それに気付くとほんとに怖い。何故かポカリスエットが供えてあって、それがさらに「やる気満々」な感じがして怖い。スポーティーな稲荷ってどうさ。怖いだろう。瞬発力バツグン。これがエネルゲンとかであった日にゃあ、あんた。
きつねと言えば蕎麦。ジューシーな油揚げ。油揚げが大豆でできているのは分かるが、いまいちどうなるとああなるのか解らない。どうでもいいが、どうしてあぁも、ざる蕎麦は高いのか。ざる蕎麦を気負い無く2枚も3枚もたらふく食べるのが密かな夢です。
食の話は進むであるよ。私は呑気なので、美味しそうなイメージの話だけで何ぼでも喋り続ける自信がある。こういうのは何かの落語であったな。隣の鯛を焼く匂いで飯を食うとか。この間、ちょろっと良い割烹で鯛めしを食ったのだが、鯛しか入ってなくてビックリした。ウチのはにんじんとかゴボウとか椎茸とか厚揚げとか入ってる。ただし、鯛の他にも鯵とか鰆とか、あまつさえ蛸とかも入っている。何故かと言うと、それは鉢盛りの残りであるからで、時折、刺身のケンも入っている。美味いが、2日目になると魚臭くて食えない。しかし、残り物の残り物なので「食え」と強制される。
昨晩はグリーンピースご飯だった。うれしかった。




2005/0514
花札をして1日が終わるなどと、現代人としてありえるだろうか。
と、いうかここ2年ぶりかえして花札の話をしていいだろうか。
と、いうか花札の話を実は書いていたんだが、本当に何の教養的要素も文化的考察も無いのに延々と何行も何行も如何に好きかと書きつらねたので、お前はアホかアカギか、とやめた。そろそろ怪談の季節だね。
どうでもいいが、メガネがぶっ壊れた。そりゃぁもう、飛ぶか飛んだの勢いで、かけようとしたらポーンと部品が飛んでいきました。1mは飛んだ。マジで。メガネにそんな瞬発力があるのかと思うぐらいに。
それで買いに出かけたのだが、たまたま自分の本名と同じ名前のメガネ屋があったのでそこで買った。しかも「○○屋(自分と同じ名前)創業以来オリジナルデザイン復刻版○○(自分と同じ名前)」というやつを。ここぞとばかりにしてやったよ。ばかでしょう。アホでしょう。うかれぽんちきでしょう。
それはまぁ、いいんだが、さすがに自分と同じ名前だけあって、レンズを作ってメガネにするまでに1週間かかるんだって。オセェーッ!武田メガネだったらその日に2時間で出来ちゃう所を、だよ?働く気あるんか、お前は。無いだろうそうだろうそりゃぁ無いだろうよ。
いよいよもって片方の視力がレンズに度を入れても視力が上がらない。マックスに上げても効目の半分。しかも半分まで上げてしまうと、効目しか使っていない状態なので逆に効目が疲れてしまうとのこと。徐々にレンズを交換しつつ慣らしながら視力を上げてゆくしかないとのこと。ついでに言えば、使ってない分、悪い方の視界が大幅にずれてきているとのこと。とくと○○屋から言われる。真剣にメガネをかけよう。というのも、以上様々な要素からやっぱり効目の眼圧が高くなっているらしいのである。怖い言葉だ。ガンアツ。こう、壊したとか失くしたとか折れたとかそういうふざけた事ばっかりやってないで真剣にメガネをかけよう。別に遊んでかけてる訳でもないんだが。で、今一番何よりもがんあつという言葉が怖いので、新しいメガネが出来るまでの間は大分前に作ったメガネをひっぱり出してかけているのだが、早くもこっちの方が馴染んでいるのが嫌だ。買ったのに。新しいのを買ったのに。ちなみに新しいメガネは、レンズの交換頻度も考慮して、というか前のがポーンと漫画みたいにとんじゃっては壊れたのでより耐久性を重視した結果、かけると物凄く己の顔が男前になる。シャープでも、クールでもなく、格好よいでもなく、男前か・・・。
創業以来の復刻版ですから。

2005/0521
中島敦の文にしびれる。芸術などとよくわからないものと対自しようとする時、中島敦は混乱しないがためのひとつの指針であり得る。つまりスクエアの美。しかし、何で虎になるのか、その不可解さに囚われずして書ききるという事。大抵の作家の話など、興味はないが、ランボーと中島敦の事は時々考える。ランボーは商売人になって面白かったのか、中島敦は何をしようとしていたのか。古典中国、三国志とかそういう武将がいて、参謀がいて妖怪豚馬琴で龍、そういう中華風味の漫画を描きたいと常々思うが、中華風味と言っている時点で私が知っている国の名前は隋、唐、清、中華人民共和国、おわり。うん、全然。イメージすらテレビの西遊記しか思いつかない。ハロゲンヒーターがなおされてしまいました。心持ち、寒い。
わけもなく、強い心意気を持ったり、わけもなく何もかもを美しいと思い、わけもなくこの世が最も素晴らしく何だって出来るし何だって困らないし何だって許せるし何だって悔やむ事は無いさ、と思う事があって、それは何かと言われると、精神的礎でもなくストレンジでもなく、ただ、単に呑気なだけです。
斉藤さんの事を考える。
思いつく事しか考えないし、思いつく事しか考えられない。
考えたくない事は考えなくて済むように努力する。
努力の力の使い所はいつも逃げの一手のみにだけ使う。敵陣に切り込んでゆくのも野山岩山越えて逃げるのも一緒。いっしょいっしょ。全部いっしょ。
さて考えたくない事だが、考えなくてはならない。私が今考えるべきは、この先こんな事を考えなくて済むようにするにはどうしたらいいのか。知恵をしぼれ。




2005/0525
凄い物件を見つけた。3LK家賃28,000円。安いって。いくら東京都内と話が違おうが曲がり無くとも市内で、そりゃねぇって。しかも縦に3部屋。おもろいって。全て部屋を股越さないと次の部屋に行けない3LK。アパート一棟に2部屋しかねぇって、それ、1階と2階なだけじゃん。と、いうか、玄関からキッチン、第一の部屋、第二の部屋、第三の部屋、ラストに風呂、便所。何で最後にトイレ風呂何だよ、と。というか、Lが怪しい。それほんとにLか?!何かただの板張りじゃねぇか、と。とまぁ、色々言って、とても惹かれるものがあり、木造。
鹿皮のメガネ拭きというものを持っていて、これはオカンが奈良に旅行に行った折に買ってきた土産なのだが、とても使える。使えるがもう何年も使ってるとたいがいにして汚くねぇか?と思って洗う。思い立ったら吉日というか末日でして、ちぢんだ。ですね、そうですよね。皮ですもんね。誰か奈良に行って買ってきてはくれないだろうか。愛する眼鏡はヤキソバUFOを食べる際には外す。そんなヤキソバ臭い湯気がついてはかなわん。
最近は油揚げをジューシーと称し、揚げ豆腐の事を「肉」と認識し出したのだ。それはともかく、ふと外の木々を眺め、噛んで食ったら美味そうだな、と思っていたのが心配だ。あまつさえ、サトウキビを食うようなイメージまで浮かべて。おらぁ、もぅ、駄目だ。
ついぞ、ボーナスを貰う縁がなさそうだな。
ある女の子に出合って、その子にはラジオDJになりたいという夢がある。でも、収入が見込めない不安定な生活は不安で不安でやりきれないので諦めようと思うと言う。けれど、諦めようとする自分を、10年前の自分が引き止める、らしい。「もうちょっと、頑張ってみようよ。あんなに夢見てたじゃないか。」と。いい子だな、と思った。 私のは全くの逆だ。10年後の自分が時々現れる。「お前、いい加減にしようぜ。」と。それを私が引き止める。「ちょっと、もうちょっと頑張ってみようぜ。」と。ふがいねぇ奴だな。
ほんで、今も傍らに10年後の自分が手ゴネいておわす。半分キレぎみ。目を合わせるとぶっ殺されそうだぜ。




2005/0531
高校生ダンス甲子園があったり、ノリダーがいたり、わくわく動物ランドがあったり世界名作劇場で生き物地球記行があったり、そういうのは関係ないが、ネットはやっぱりテレビに近いな、と思うのだ。そうやって初めに何を見立てたかかの感覚は用途を左右する。如何にi-potだろうがネットラジオだろうが、オンラインゲームだろうが、私のは俄然テレビ色が強い。ブログという言葉を初めて聞いた一昨年前に私は「日本じゃ馴染まないんじゃないか?」と思っていた。根拠はあのテンプレートみたいなのが沿わないだろう、と。もっとサイトデザインやレイアウトに貪欲である人が日本ではネットの主層を占めている、と踏んだ。つまり、画。日本のネットをする人の半分以上はおたく、とは言わないが、日本のネットをやっている主な層では画というのが、リアルタイムの情報であったりコアな情報と同等の価値を持っているんじゃないか。そうくると、ブログは用途として間違っている。だから、その時にちょろっと「アメリカではブログが大流行!」みたいなことを言われていたが、同じような状況の流行り方は絶対にしないな、と思った。まぁ、否定的に見ていたという点からして大はずれなんだけれども。流行ってんな、ブログ。

「頭が良い」と「賢い」の違いは出典が言えるかどうか、だとテレビの「天才○○少年!」というような番組を前に観ていて思った。歴史年表をスラスラ言うのは頭が良い。出典や根拠を述べる事が出来るのが賢い。それは「子どもの天才」と「大人の天才」の違いに似ている。子どもはスラスラ言ってるだけで天才だが、大人は事情が違う。異論を唱えられる事もあろうし、耳を貸さない奴も馬鹿にする奴もいるだろう。大人はまずそこから片付けなくてはならないので、出典や考察背景がいる。「頭が良い」は突き詰めればカンだが、「賢い」は理論だ。関係性の維持を要す。

そこ言うと、ブログはそこらへんを簡単にしたな、と思う。「これこれ、こういうものがあって、中にはこういう意見を言う人がいて、こういう背景でこうなんだけれど、自分は今からこう論じようと思いますよ。」の説明がピョンっとリンクボタンで完了する。どんなにくだらない事でも構造は一緒だ。とにかく、「○○について」のタイトルすらいらない。 便利だ。残るは縦横無尽に広がる「俺的には」。ア・ハーフやる必要も無ければ、管理者にいちいち承諾を得る必要も無い。
そこら辺に違和感を感じているのか、と言われるとそうでもない。 だが、トラックバック機能が付き、所謂一見して「ブログ」というものでない事に、ここには議論されるため(あるいはするため)の何の用意も無いですよ、というストッパー的機能として考えている所はある。 しない、んじゃあない、用意が無い。

まぁ、何も考えんて事をよう上手い事言いますな。途中からあまりに姑息すぎて可笑しくなってしまいました。それはともかく、一点。ここのイメージとしてはどうしても「学級新聞」みたいなものが大きい。雑把で、バーッと、絵があって漫画があって、一面に広げて見る。良い意味で統一感が無いものがいい。そういうものを思い描いた時、タグが早ぇよ、と思った次第です。
「タグがイチバン」ではなく、「タグが早ぇよ」(今の自分では)。
姑息な言い回しをしますね。


もう6月!!
というか、5月末日!!
確か私は5月末日までにしなければならない事があって、それは主に漫画なんだが、先週ぐらいまで、「5月?!ヤッタ!31日まであるじゃん!!」と思っていたんだが、それしきの1日2日など、屁でも糞でもなく、その時は確かに屁より糞より何よりだったんだが、要するに出来てないんです。しかも、1週2週のケチくさい単位じゃなく、1ヵ月2ヵ月単位の超ゆとり計画にも関わらず。ついでに1日たりとも決して忘れていた訳でもない事にも関わらず。

ど・な・い・・・・。
ど・な・い・な・・・・・・・。



いや、あと3日ぐらいあれば出来ると思うんですよ。実際、半分ぐらいは終わってるんですよ。どちらかというと、追い詰められると俄然ミラクルパワーを出す女ですよ、私は。だからちょっと今日、末日ですけど、大方の日取りで待ってて下さいよ、というのをここで言わずしてちゃんと言えよ、と、思う訳ですよ。しかしながら、如何せん何たって「超ゆとり計画」だったもので、ですよ。



しかも、色々。己の不誠実さが・・・・・・・・。 考えるだけで・・・・・・・・・







どうか世界よ!わたしを見捨てないで!!








<3月 <4月

















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